拷問に加担する人物

中盤以降、ギディの拷問は益々激しさを増していき、このままでは本当に殺されてしまうとドロールはもちろん、ミッキにもその魔の手が伸びないとも限らない状況になっていく。元々ギディは最初からドロールは殺すつもりでいたのです、それも娘が受けたであろう苦しみをそっくりそのまま返す形でだ。先に言っておくが、レイプは含まれません。そんなことになったら色々と表現的にもまずいですし、一気に変な方向へと進んでしまいかねない。ここでいう苦しみを返すとは、『ノコギリで首を斬り落とす』ことになる。

それが分かっていたからこそ必死で自分は犯人ではないと訴えており、そしてミッキにもそう言っていた。この時ミッキとドロールの間にはギディが知らぬ間に協力関係を結んでいたのです。すきを見て逃げ出す算段を立てていたのですが、それが実行困難になる状況が出来上がってしまう。第四の人物が到来する。

それはギディの父親だ、彼は何も知らないで訪れたためまさか実の息子が孫を殺した犯人かもしれない人間を、自宅の地下室で拷問しているとは知る由もなかった。ただそれでも助けを乞うために物音を上げたミッキたちの行動で、父親は息子が何をしているのかを知ることになる。これで助かる、ミッキとドロールはそう信じていた。しかし訪れた現実は、彼らの予想を遥かに裏切る結果を招き入れ、ドロールは更なる苦しみを受けることになってしまう。

父親の問いに答えるギディは、実際に地下室を見せる。それを見た父親は何と止めるどころか、息子とともに共謀する道を選んだのです。むしろやる気に満ちて意気揚々と何をするかと楽しむ姿さえ見せていたため、ミッキとドロールにすればもう1つの災悪を呼び込んでしまったことになる。そんな父は拷問を提案して、最早苦痛などと表現できない酷な仕打ちをドロールへと浴びせていった。このままの流れで物語は佳境へと差し掛かっていく。

色々ある宗教

待っていた先に

1人から2人に増えた拷問師からの責めに、ドロールは事前にミッキと打ち合わせをしていた嘘の自白をする。これでギディが出かけている内に脱出しようとするが、ギディの父親が残って2人を監視する形になってしまった。隙はないかと見ていると、常備薬を飲むために鎮痛剤入りのケーキを食べてしまったため、父親は意識を失ってしまう。好機が訪れ、ミッキは隠し持っていた釘を使って拘束から離れて脱出しようとする。

この時ドロールも一緒にと打ち合わせをしていたが、拷問を受け続けてまともに動けない上に犯人かもしれない人間を助けるつもりなど、ミッキには最初から無かった。見捨てる形でミッキは1人ギディの自宅から逃走し、裏切られたドロールはミッキへと罵詈雑言とばかりに叫び声を上げ続ける。この時、全ての分岐が定められたといっても良い瞬間となる、ギディは頭部が見つからなかったことで嘘をついた事実に気づいてしまい、自宅へと戻ってくる。もうこれ以上情けをかけるつもりはない、気絶した父を介抱した後、未だ拘束されているドロールを眼前としてゆっくりと手を伸ばした先に掴んだのは、ノコギリだった。まもなく訪れる断頭の儀式、ドロールの恐怖が最高潮に達した瞬間となる。

その頃逃げ出したミッキは何とか警察と連絡をつけようとして、たまたま遭遇したアラブ人にスマホを借りた。そこでこれまでの経緯を簡潔に伝えていると、同僚からミッキの娘が行方不明だと聞かされるのです。まさかの展開にハッとなり、急いでギディの自宅へと引き返す羽目になり、娘の居場所を問いただそうとする。だが戻った先に待っていたのは、もはや絶命して人ではなくなったドロールと呼ばれた人間の成れの果てがあるだけだった。

この時ほど、ミッキが絶望した瞬間はないでしょう。自分の行動が正義であると信じて動いていた中で、実は一番の最愛である娘が行方知れずになっていたのです。最終的に、彼の娘も五体満足でこそ発見されたが、既に遺体となっていた。

犯人は

さて、ここまで来ると誰が犯人なのかは言うまでもないでしょう。またここでも明言するつもりはありません、けれど犯人以上に恐ろしい物は何かが劇中で繰り広げられていたことこそが、今作で最もスリリングであり、サイコ・サスペンスな展開だった。この作品を最初から最後まで通してみて、一重に少女誘拐殺人事件の犯人だけが悪であるといえるかがはたはた返答に困る部分だ。何せ被害者の父親が行った拷問、後から加わったその父親ですら犯人なのかもしれないと、可能性だけで決めつけることの出来ない人間を苦しめていたのですから、何もかもが異常だ。

こうした作品では主人公として描かれる刑事が、ある意味型破りな存在となっていて、それが犯人に輪をかけた非常識な部分を持っているものです。もちろんミッキも通常の刑事を考えれば暴力を行い、犯人に拷問まがいの行動をするなどしていますが、それらが全て中盤からの展開でかき消えてしまっている。見終わった後には、ミッキが前半部分で何をしていたかを忘れてしまった人もいるのではないでしょうか。それほどに中盤から最後までの展開は行き着く日まもなく、観客が衝撃を受け続けた。

拷問シーンがリアルすぎる

この作品の見どころ、などと使っていいかはどうかはかなり不明だが、やはり拷問シーンだろう。見ていて気持ちがいいと感じる人はいないだろう、最初こそこういう展開なんだと受け入れられる人でも、相次ぐ人体を損傷されていく生々しい音と痛みを訴える慟哭に、思わず耳を塞ぎ、目を背けてしまったとしてもなんらおかしいことではない。それくらい、劇中で繰り広げられる暴力的なシーンがグロテスク過ぎた。

苦痛を受けるドロールもそうだが、それをただ見させられているミッキも精神を追い詰められていったといえるはず。静止して拘束されてしまったため、次に何か反論すれば自分も同じようなことをされるかもしれない、潜在的な恐怖と警戒から何も言えずに見ているだけとなってしまっているシーンが連続性を持って流れ続ける。

戦争を題材にした作品

正義はどこか

この映画は有名な世界的映画監督も評価されていますが、正直見ていて面白いと感じることはない。寧ろこの作品はどのような意図を持ってして作られているのかが、全く持って理解できない。正義と呼ばれる刑事の悪行、悪と蔑まれて惑う容疑者、絶望と慟哭の果てに復讐を誓った父親、この三者を比較して一体誰が一番の悪であり、誰がまだ正義から近いのか、それらを判断することは至難だ。ただタイトルの『オオカミは嘘をつく』というフレーズは、実に的を射たものとなっている。

映画から見る、超軍事国家イスラエルの狂気性を考察

オオカミは嘘をつく、という映画作品をご存知だろうか。実の娘を殺された父親の怒りが犯人と思しき人間へと向ける狂気が、これでもかと表現されている内容だ。この映画は中東でも過激な国情を持つ『イスラエル』国内で制作された作品となっている。映画から見るイスラエルという国の事情、かつて聖地も存在していたはずの国で何が起きているのかを、このサイトで独自考察していく。

衝撃のドキュメンタリー